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パンソリ〜声の限界に挑戦する朝鮮半島の歌唱芸能

 

私は結構世界各国の伝統芸能が好きなのですが、

その中でもとりわけ朝鮮半島のパンソリに対する思い入れが強いです。

人間の発声の限界に挑戦するような苛烈を極める鍛錬を経て、最終的には声を使って繊細な感情表現のみならず鳥の鳴き声や川の流れる音など自然界の音をも表現する、声を使った芸能の中でも最上級の芸能の一つ、それがパンソリです。

 

 

イム・パンウル、20世紀中盤のパンソリ名唱ーパンソリの世界では名人の事を名唱と呼びますーです。

最も有名な「スクテモリ(乱れ髪の意)」という曲目で、

朝鮮文学としても名高い「春香伝」の中の一曲です。

これは、獄中に繋がれながら愛する人への想いを叫ぶ内容の曲です。

ただの愛の歌ではなく、悪徳官吏の求愛を拒んだ結果投獄された女性が、愛する男への再会を半ば諦めながらも叫ぶ、凄絶な愛の歌なのです。

このような曲の微妙な感情を声を使って細かく表現する為に、パンソリを志す人達は文字通り人生をかけた厳しい修行を積んでいきます。

その修行法も凄まじく、「得音」と呼ばれるパンソリ特有の声の完成形ー繊細な感情や幅広い音域などを自由自在に駆使出来る状態ーを目指す為、咽を潰したり呼吸を鍛えたり、鳥の咽の骨をザル一杯に食べたりなどという修行もするそうです。

ただ、こうしたやり方は「得音」に達する事が出来る可能性がある反面、完全に声をダメにしてしまう可能性もあり、だからこそ文字通りの「人生をかけた特訓」なのですね。

ちなみに、「釜山港へ帰れ」などで日本でも有名なチョー・ヨンピルも、1970年代中盤に大麻使用の疑いがかけられ芸能界から干されていた時期に、パンソリの修行を積んでいたそうです。

それは彼の歌声にも如実に表れており、1980年に発表された「窓の外の女」という曲のサビの部分は明らかにパンソリを彷彿とさせる強烈なシャウトで熱烈に歌い上げています。

 

 

窓の外の女

 

 

ちなみにパンソリは時に痛烈な社会風刺の性格を帯びる事もあります。

その代表が創作パンソリの大家とも呼ばれるイム・ジンテク名唱の「五賊」でしょう。

「五賊」

 

「五賊」は元々は韓国の社会派・反体制詩人で世界的にも著名な金芝河(キム・ジハ)の詩で、1970年代韓国の軍事独裁政権を強烈に風刺し非難する内容で、この作品の発表を理由に金芝河は逮捕され、作品を掲載した月刊「思想界」は廃刊を余儀なくされます。

「五賊」では、財閥、国会議員、官僚、軍高官、大臣を5人の獣物の姿をした盗賊として描き、悪辣で貪欲な巨悪として描きながら痛烈に風刺します。

例えば、冒頭部には「人は皆腹ん中に五臓六腑が詰まっているが、此奴らの腹ん中には雄牛の金玉袋ほどの泥棒袋がおまけに詰まって五臓七腑だ」「同じ頃(当作品が風刺する軍事政権が成立した頃を指す)に盗みを学んだが、その腕前は皆ピカイチ」とあり、当時の韓国の権力者達にいきなりカウンターパンチを喰らわせています。

また、財閥は「金の腕時計、金の指輪、金のブレスレット、金のボタン、金のネクタイピン、金歯、金の爪。

でっぷり尻にだらしない腹、のそのそと現るぞ。

閣僚はこんがりと焼き上げ大臣は真っ赤に茹で上げ

酢をかけ醤油を注しコチュジャンに味の素

唐辛子とニンニクも添えてペロリと平らげ

庶民から吸い上げた銀行の金、外国からの借金にあらゆる特権に利権もごっそりと

妾を侍らせ夜昼構わず子作りに余念なし」

と、それはもう容赦なく痛烈に風刺します。

この調子で最後の最後まで時の権力者を痛烈に風刺するのですが、これをパンソリとして纏めたのがイム・ジンテク名唱です。

40分余り延々と痛烈に声を張り、実に巧くそして激烈に歌い上げます。

自由自在に出る声に加え、相当な体力が必要である事がよく分かるでしょう。

 

 

最後に、パンソリの名唱達の音源を紹介して終わりたいと思います。

 

 

 

ソン・マンガプ(1865~1939) 「沈清母行喪歌」

レコーディングされたのが何と1913年!!

冒頭の「송망갑이올시다(ソン・マンガビオルシダ、ソン・マンガプでございます)」という挨拶が時代を感じさせます。이올시다(イオルシダ)は「〜でございます」という意味の古い敬語体で、今ではほとんど使われない表現です。

 

イ・ドンベク(1866〜1949) 「セタリョン」

セは鳥、タリョンは「打令」と書きますが、日本語で言うと「嘆き節」とでも表現しましょう。

これまた古く1935年の録音です。

 

キム・ソヒ(1917〜1995) 「雲淡風景」

1960年代の録音です。

今度は女性の名唱です。この方もパンソリの伝説と言われています。

 

 

 

アン・ヒャンニョン(1944〜1981) 「六字ベギ」

六拍子の歌、という意味のこの曲は、女性の「恨」を歌った曲です。

「恨」とは「ハン」と読み、いわゆる単なる恨みではなく人生の様々な願望が成就しない苦しみ、それでも諦めきれないもどかしさなどを含めた感情のしこりのようなものを「恨」と表現するわけです。

こう言った曲を見事に歌い上げるアン・ヒャンニョン名唱は、先に紹介した師匠でもあるキム・ソヒが「私の弟子でただ1人いち早く私を超えた」と絶賛するほどの才能の持ち主でした。

しかし、妻子ある男性と恋に落ち、叶わぬ恋に絶望し1981年に自ら命を絶ってしまいました。

こうした生き様もまたパンソリの中の主人公のようです。

 

 

まとめ

長い苦難の歴史の中で、朝鮮民衆の悲しみ、怒り、嘆き、希望等様々な感情を代弁するかのようにして発展してきた伝統芸能・パンソリ。

これほどまでにダイナミックながらも繊細に、人の感情を表現し得る芸能は非常に稀有であり、だからこそユネスコ無形文化遺産にも登録されたのではないでしょうか。