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年代で見る韓国インスタントラーメンの歴史

いまや日本のスーパーやコンビニでもよく見かけるようになった韓国のインスタントラーメン。

統計によると、韓国は一人当たりのインスタントラーメンの消費量が世界一位なんだそうです。

 

1963年の初登場から、現在に至るまで、韓国のインスタントラーメンはどのように発展してきたのでしょうか。

 

1.1960年代:黎明期

1960年代初頭、韓国からある企業家が出張のため来日していました。彼の名はチョン・ジュンユン。

朝鮮戦争後の食糧難と極度の貧困に喘ぐ韓国の現状に心を痛め、「安く腹を満たせる食品の必要性」を痛感します。そこで、ラーメンの生産に乗り出しますがノウハウが皆無なため失敗。日本へ向かい、明星食品に技術提供を依頼します。

何度も断られてしまいますが、涙ながらに訴えるチョン会長の姿が当時の明星食品社長の心を動かします。

結果、生産過程や配合技術など全ての技術を無償で譲り受け、1963年に韓国初のインスタントラーメン「三養ラーメン」が発売されました。

 

2.1960年代中盤:普及

しかし、当初はその珍しさから普及に難航します。

そこで、劇場や公園などで試食会を開催しラーメンの広報に乗り出します。

発売から数年後には売り上げも上がり、三養食品は黒字を記録しました。

また、ラーメンの普及における決定的な出来事として、1965年に開始された韓国政府による国民の飢餓解決策「混粉食奨励運動」があります。これには、米以外の雑穀と小麦粉の消費を奨励し、米の消費を抑える狙いがありました。

自然とラーメンの消費も伸びて行きます。

1965年には、辛ラーメンやノグリラーメンで日本でも知られている農心の前身であるロッテ工業が、ラーメン製造に乗り出します。

 

1970年代:発展・高品質化

1960年代から韓国は高度経済成長期を迎え、1970年代の中盤にはそれまで優勢だった北朝鮮を追い抜きます。国民の所得も向上し、経済的に余裕が出てくる中でラーメンの品質も向上していきます。

また、それまでは恐らく日本のラーメンに影響を受けた鶏肉出汁のスープから、より韓国人の味覚に合った牛肉出汁のスープが主流になっていきます。

 

1980年代:多様化

1980年代に入ると、軍事独裁政権とはいえ社会に自由化の波が押し寄せてきます。

経済が益々成長していく中で、プロ野球リーグの創設や性産業の規制緩和、カラー放送の開始など、70年代とは違い娯楽が多様化していきます。

ヤンニョムチキンの登場やダンキンドーナツの韓国進出など外食産業も成長を見せる中で、ラーメンも多様化していきます。

様々な企業がラーメン製造に参入し、競争も熾烈化していきました。

1983年には韓国ヤクルトが、1986年にはピングレが、1987年にはオットゥギなど、現在では日本の市場でも見かけるメーカーがラーメン業界に参入しました。

あのノグリラーメンや辛ラーメンもこの時代に登場しました。

 

1986年の初登場時の辛ラーメンのCM

 

1990年代:競争の激化

1990年代に入ると、韓国ラーメン業界の競争が益々激化していきます。

様々な商品が次々に市場に回り出し、特にそれまで袋麺が中心だった韓国に本格的にカップ入りのラーメンが普及したのもこの時期です。

1998年にはラーメン業界全体の売り上げが初めて一兆ウォンを超えました。

1997年に韓国はIMF危機と呼ばれる大不況に襲われ、朝鮮戦争以来の国難とも言われるほど大変な状況でしたが、安くて手軽に腹を満たせるラーメンはきっと当時の韓国人に力を与えたことでしょう。

 

 

2000年代:海外進出

2000年代、海外進出を本格化させます。

既に1990年代に中国やロシアへの輸出を開始していましたが、LAに工場を設立するなど2000年代は韓国ラーメン業界において一つの転換点になりました。

日本で韓国のラーメンが一般にも認知されたのも2000年代からではないかと思います。

 

割と最近のものですがアメリカの辛ラーメンのCM

 

アメリカの刑務所では韓国のラーメンが人気だという内容の動画。その理由は、アメリカの刑務所は民間業者が運営する場合が多く、経費削減の為に最も削られるのが食費なのだそうで、1日に2食しか出されない日や冷たい食事が出される場合も頻繁にあるのだそうです。その為、温かく食べられる上に長期保存が利くラーメンはドルがわりになるほど人気が高いのだとか。韓国語分かる方はぜひ見てみてください。

 

2010年代前半:「白いスープ」ブーム

辛く赤いスープが中心だった韓国のラーメンに一つの大きな変化があったのは2011年。

料理番組で人気タレントのイ・ギョンギュが披露し話題を呼び、パルド食品により商品化された「コッコ麺」は、鶏肉ベースのあっさりとした味わいのスープに、半透明のスープとそれまでの韓国のラーメンとは一線を画すものでした。

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   コッコ麺

 

その後、三養食品が「長崎チャンポン」を商品化するなど韓国ラーメンの潮流が変わるかのように思われましたが、2年も経たないうちに白いスープブームは終焉を迎えてしまいます。

 

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三養の長崎チャンポン

 

その後は「プルダック炒め麺」の人気に象徴される激辛ブームが到来し、トレンドは完全に回帰したようです。

「白いスープ」のブームは長年辛いスープに慣れ親しんできた韓国人の嗜好を変えるまでには至らなかったようです。

 

2010年代中〜後半:韓国外における人気

2010年代も中盤に差し掛かると、韓国のラーメンは海外においても少なからず影響力を発揮していきます。その例として、映画「パラサイト」に登場した「チャパグリ」の日本でのブームや、周辺諸国におけるコピー商品の販売、北朝鮮の富裕層への流通などが挙げられるでしょう。

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北朝鮮版プルダック炒め麺(辛い鶏風味のチャジャンミョンと書かれてあります)

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左が日本のコピー商品、右が韓国のプルダック炒め麺

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中国のコピー商品

 

まとめ

辛ラーメンやノグリラーメンをはじめ、日本でもかなり定着してきた韓国のラーメン。近年では、映画「パラサイト」の影響により「チャパグリ」がブームになったりもしました。

明星からの技術提供から始まった韓国のラーメンは、今や日本や中国、さらに北朝鮮でコピー商品が製造され出回るようになりました。

それには技術の向上は当然ですが、韓国大衆のラーメン愛がなければ有り得なかったことでしょう。

韓国のラーメンを見かけた時、その歴史に想いを馳せるのも楽しいと思います。

 

ありがとうございました。