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ヨーグルト以外のブルガリアの食文化

ブルガリアの食文化について、日本ではヨーグルト以外ほとんど知られていないのが現状だと思います。

世界各国の料理レストランがある東京にもブルガリアレストランはほとんどありません。僕が知る限りでは2店ほどだったと記憶しています。

ブルガリアはかつてオスマン帝国の支配を受け、またアジアとヨーロッパの文化的な交差点という面もあるので、トルコやギリシャルーマニアアルバニア、旧ユーゴなど周辺国ときょうつう共通する特徴を持ちます。

 

今回は、主にヨーグルト以外のブルガリアの食文化についてまとめていきます。

1.家畜文化とブルガリア料理

ブルカリアは他のヨーロッパ諸国のご多分に漏れず、家畜文化を有する国の一つです。

この家畜文化を抜きにしてぶるがブルガリアの食文化は語れません。

ブルガリアでは、伝統的に家畜の中でも羊が最も多く飼育されてきました。

社会主義体制下の1989年ごろまででは、羊、豚、牛の中でも羊の占める割合は圧倒していました。その後1990年に社会主義政権が崩壊し民主化すると、家畜全体が激減しますが、それでも羊は相変わらず最も多く飼育される家畜です。

そのため、肉料理に羊肉を用いられることが多々あります。

以下に、主なブルガリアの肉料理を紹介します。

 

シュケンベ・チョルバ

トルコやギリシャルーマニアなど近隣諸国にも一般的に見られる料理で、牛や羊の胃を煮込んだスープです。二日酔いに効くと信じられているそうです。しじみ汁みたいですね。トルコのものと異なり、ブルガリアではミルクを入れることが多いようです。酔いを醒ませるのか疑問に思うほどこってりしてそうですが、ハンバーガーで酔い醒ましする人とかも結構いるみたいなんで、案外効くのかもしれませんね。

 

ケバプチェ

ひき肉にクミンや塩コショウを加えてこね、細長く固めて焼いたハンバーグです。ブルガリアのみならずバルカン半島では非常にポピュラーな料理で、国民食とも言われています。こっちで言うカレーライスやラーメンのようなものでしょうかね。ブルガリアではヨーグルトソースをかけて食べたりもするようです。書いててお腹減ってきました。。

 

キュフテ

ミートボール。ブルガリアをはじめ、バルカン半島全域から中東、南アジアにかけて広く見られる料理で、ひき肉にスパイスや玉ねぎを加えて作ります。ブルガリアではパンにはさんだ「キュフテサンド」もあります。

 

サルマ

ロールキャベツのことで、ルーマニアではサルマーレ、トルコではドルマと呼ばれています。中東からバルカン半島全域にかけて、かつてオスマントルコ支配下にあった地域で非常にポピュラーな料理です。間接的に、我々はブルガリアの食文化に触れてることになるかは分かりませんが、意外なところで共通点があったりするものです。

 

カヴァルマ

土鍋で肉と野菜をトマトで煮込んだ料理で、トッピングに卵やチーズをのせて食べます。個人的に、ブルガリア料理の中では飯テロ度ナンバーワンだと思います。松屋あたりがメニュー化しないかなぁ、シュクメルリみたいに。絶対売れると思うんですけどね、カヴァルマ定食。

 

 

 

 

 

2.ブルガリアのチーズ

ブルガリアでもやはりチーズはなくてはならない食材の一つで、チーズを用いた様々な料理があります。

ブルガリアの代表的なチーズに、シレネと呼ばれる白いチーズとカシュカバルと呼ばれる黄色いチーズがあります。

シレネとは塩漬けにして作られるチーズのことで、ギリシャフェタチーズとよく似ています。

カシュカバルとはイタリアのカチョカバロチーズのようなもので、モッツァレラチーズを熟成させたハードまたはセミハードタイプのチーズです。

ブルガリアでは特にシレネが国民食とも言われるほど。家庭でもよく作られ、ブルガリアの食卓に無くてはならない存在です。

以下、チーズを用いたブルガリア料理を紹介します。

 

ショプスカサラダ

オリーブ油またはヒマワリ油で和えたトマト、キュウリ、タマネギ、唐辛子の上にシレネをたっぷりかけて食べるサラダで、ブルガリア料理を代表するメニューでもあります。ラキヤというプラムブランデーのおつまみとしても人気のようです。体にも良さそうなうえ、非常に食欲をそそられますね。夏場に食欲のないとき、そうめんなんか食べないでショプスカサラダを食べればよいと思います。

 

ミシュマシュ

ショプスカサラダに溶けたチーズとトマトを入れて煮込んだもの。手抜き料理っぽいですが、これまた非常に美味そうです。ミシュマシュとはブルガリア語で「めちゃくちゃ」を意味するそうです。開き直ってる感じが好きです。

 

シレネ・ポ・ショプスキ

土鍋にシレネとトマトとサラミを入れ、卵をのせて焼いた料理です。さっきから美味そうなものばっかり出てくるんですが

 

3.デザート

スラトコ

ブルガリアのジャム。果物本来の味わいと食感が魅力です。毎朝のトーストに塗って食べたらそれだけでテンション上がりそうです。

 

ロクム

砂糖にでんぷんとナッツを加えて作る、トルコ由来のお菓子です。カラフルで、見ているだけでも満足しそうです。

 

バクラヴァ

生地の間にヘーゼルナッツやクルミ、ピスタチオなどを挟んで焼き上げてからシロップをかけた、カロリー爆弾のようなケーキ。でもそういうのに限って美味いんですよね。

 

 

まとめ

ブルカリアの食文化は、トルコなどかつての支配国による影響を受けながら、ルーマニアアルバニアセルビアギリシャなどの周辺諸国との共通点も持ち合わせつつ、独自の食文化も有する非常に魅力的なものです。もうちょっと日本国内での知名度が上がっても良いと思います。

パンソリ〜声の限界に挑戦する朝鮮半島の歌唱芸能

 

私は結構世界各国の伝統芸能が好きなのですが、

その中でもとりわけ朝鮮半島のパンソリに対する思い入れが強いです。

人間の発声の限界に挑戦するような苛烈を極める鍛錬を経て、最終的には声を使って繊細な感情表現のみならず鳥の鳴き声や川の流れる音など自然界の音をも表現する、声を使った芸能の中でも最上級の芸能の一つ、それがパンソリです。

 

 

イム・パンウル、20世紀中盤のパンソリ名唱ーパンソリの世界では名人の事を名唱と呼びますーです。

最も有名な「スクテモリ(乱れ髪の意)」という曲目で、

朝鮮文学としても名高い「春香伝」の中の一曲です。

これは、獄中に繋がれながら愛する人への想いを叫ぶ内容の曲です。

ただの愛の歌ではなく、悪徳官吏の求愛を拒んだ結果投獄された女性が、愛する男への再会を半ば諦めながらも叫ぶ、凄絶な愛の歌なのです。

このような曲の微妙な感情を声を使って細かく表現する為に、パンソリを志す人達は文字通り人生をかけた厳しい修行を積んでいきます。

その修行法も凄まじく、「得音」と呼ばれるパンソリ特有の声の完成形ー繊細な感情や幅広い音域などを自由自在に駆使出来る状態ーを目指す為、咽を潰したり呼吸を鍛えたり、鳥の咽の骨をザル一杯に食べたりなどという修行もするそうです。

ただ、こうしたやり方は「得音」に達する事が出来る可能性がある反面、完全に声をダメにしてしまう可能性もあり、だからこそ文字通りの「人生をかけた特訓」なのですね。

ちなみに、「釜山港へ帰れ」などで日本でも有名なチョー・ヨンピルも、1970年代中盤に大麻使用の疑いがかけられ芸能界から干されていた時期に、パンソリの修行を積んでいたそうです。

それは彼の歌声にも如実に表れており、1980年に発表された「窓の外の女」という曲のサビの部分は明らかにパンソリを彷彿とさせる強烈なシャウトで熱烈に歌い上げています。

 

 

窓の外の女

 

 

ちなみにパンソリは時に痛烈な社会風刺の性格を帯びる事もあります。

その代表が創作パンソリの大家とも呼ばれるイム・ジンテク名唱の「五賊」でしょう。

「五賊」

 

「五賊」は元々は韓国の社会派・反体制詩人で世界的にも著名な金芝河(キム・ジハ)の詩で、1970年代韓国の軍事独裁政権を強烈に風刺し非難する内容で、この作品の発表を理由に金芝河は逮捕され、作品を掲載した月刊「思想界」は廃刊を余儀なくされます。

「五賊」では、財閥、国会議員、官僚、軍高官、大臣を5人の獣物の姿をした盗賊として描き、悪辣で貪欲な巨悪として描きながら痛烈に風刺します。

例えば、冒頭部には「人は皆腹ん中に五臓六腑が詰まっているが、此奴らの腹ん中には雄牛の金玉袋ほどの泥棒袋がおまけに詰まって五臓七腑だ」「同じ頃(当作品が風刺する軍事政権が成立した頃を指す)に盗みを学んだが、その腕前は皆ピカイチ」とあり、当時の韓国の権力者達にいきなりカウンターパンチを喰らわせています。

また、財閥は「金の腕時計、金の指輪、金のブレスレット、金のボタン、金のネクタイピン、金歯、金の爪。

でっぷり尻にだらしない腹、のそのそと現るぞ。

閣僚はこんがりと焼き上げ大臣は真っ赤に茹で上げ

酢をかけ醤油を注しコチュジャンに味の素

唐辛子とニンニクも添えてペロリと平らげ

庶民から吸い上げた銀行の金、外国からの借金にあらゆる特権に利権もごっそりと

妾を侍らせ夜昼構わず子作りに余念なし」

と、それはもう容赦なく痛烈に風刺します。

この調子で最後の最後まで時の権力者を痛烈に風刺するのですが、これをパンソリとして纏めたのがイム・ジンテク名唱です。

40分余り延々と痛烈に声を張り、実に巧くそして激烈に歌い上げます。

自由自在に出る声に加え、相当な体力が必要である事がよく分かるでしょう。

 

 

最後に、パンソリの名唱達の音源を紹介して終わりたいと思います。

 

 

 

ソン・マンガプ(1865~1939) 「沈清母行喪歌」

レコーディングされたのが何と1913年!!

冒頭の「송망갑이올시다(ソン・マンガビオルシダ、ソン・マンガプでございます)」という挨拶が時代を感じさせます。이올시다(イオルシダ)は「〜でございます」という意味の古い敬語体で、今ではほとんど使われない表現です。

 

イ・ドンベク(1866〜1949) 「セタリョン」

セは鳥、タリョンは「打令」と書きますが、日本語で言うと「嘆き節」とでも表現しましょう。

これまた古く1935年の録音です。

 

キム・ソヒ(1917〜1995) 「雲淡風景」

1960年代の録音です。

今度は女性の名唱です。この方もパンソリの伝説と言われています。

 

 

 

アン・ヒャンニョン(1944〜1981) 「六字ベギ」

六拍子の歌、という意味のこの曲は、女性の「恨」を歌った曲です。

「恨」とは「ハン」と読み、いわゆる単なる恨みではなく人生の様々な願望が成就しない苦しみ、それでも諦めきれないもどかしさなどを含めた感情のしこりのようなものを「恨」と表現するわけです。

こう言った曲を見事に歌い上げるアン・ヒャンニョン名唱は、先に紹介した師匠でもあるキム・ソヒが「私の弟子でただ1人いち早く私を超えた」と絶賛するほどの才能の持ち主でした。

しかし、妻子ある男性と恋に落ち、叶わぬ恋に絶望し1981年に自ら命を絶ってしまいました。

こうした生き様もまたパンソリの中の主人公のようです。

 

 

まとめ

長い苦難の歴史の中で、朝鮮民衆の悲しみ、怒り、嘆き、希望等様々な感情を代弁するかのようにして発展してきた伝統芸能・パンソリ。

これほどまでにダイナミックながらも繊細に、人の感情を表現し得る芸能は非常に稀有であり、だからこそユネスコ無形文化遺産にも登録されたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝鮮半島三大ビビンバ!北朝鮮名物海州ビビンバの魅力

僕は当ブログでも度々言及していますがかなりのビビンバ好きです。

毎日ビビンバでも飽きないと思います。それぐらい好きです。

 

そんなビビンバ好きが高まって、最近は朝鮮半島各地のビビンバについて勉強をしています。

その中でも韓国全羅北道(チョルラプクド)は全州(チョンジュ)市の全州ビビンバ、同慶尚南道(キョンサンナムド)は晋州(チンジュ)市の晋州ビビンバ、そして今回ご紹介する北朝鮮黄海南道(ファンヘナムド)は海州(ヘジュ)市の海州ビビンバは朝鮮半島三大ビビンバと呼ばれるそうです。

ちなみに、韓国人が北朝鮮に行く事は難しいので、韓国内では慶尚北道(キョンサンブクド)は安東(

アンドン)市の安東ビビンバを含めて三大ビビンバとする向きもあるようです。

民族分断の影響はこのようなところにまで及んでしまっているのですね。

 

ちなみに、ヘジュピビンバは実は自分で作ったことがあります。

 

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結論を言うと、めちゃくちゃ美味いです。

脱北者料理研究家の方や、「我が民族同士」「メアリ(こだま)」など、北朝鮮政府が運営するサイトなどを参考に見様見真似で再現してみたんですが、まさかこんなに美味いとは…

少しアレンジして、ささみの茹で汁を醤油と混ぜたのも良かったようです。

そうそう、実はヘジュピビンバはコチュジャンを使わずに醤油で食べるんですね。

コチュジャンを使うと素材の味や香りが失われる」と考えられるためだそう。

また、具材にはヘジュ特産の山菜(わらびやキノコ類)やなまこ、そして鶏肉が用いられます。

また、ご飯を豚の脂で炒めるのも大きな特色で、

ヘジュをはじめ黄海道特有の極寒に耐えるためだとか。

非常に栄養バランスの良い料理です。

 

 

まとめ

日本で知られるピビンバとはだいぶ違いますが、栄養価も高く味も非常に良いので、ぜひ試してみてください。

 

 

 

 

 

生クリームなし!ローマ風カルボナーラとは?

僕は普段から料理を割とする方なんですが、その中でもカルボナーラを作る頻度が高いです。

だって、めちゃくちゃ簡単だから。

 

材料、卵とパンチェッタとペコリーノロマーノと胡椒だけですからね。

 

日本のカルボナーラは生クリームを入れますが、

本場では入れません。邪道だとか何とか。

僕も、生クリームを入れた日本風カルボナーラもそれはそれで美味いと思いますが、やはりローマ風の生クリーム無しのカルボナーラが一番好きです。

シンプルに素材の味を楽しめるので、むしろ和食に通ずるものがあります。

ちなみに知り合いのブラジル人曰くブラジルのカルボナーラはパンチェッタを炒める際赤ワインを加えるそうです。何かそっちのが本場っぽい気もします。

 

カルボナーラの起源はイマイチよく分かってませんが、第二次大戦後イタリアの進駐軍向けにアメリカ兵が好む卵とベーコンとパスタを使った料理としてイタリア人シェフが考えたとか、19世紀には既に存在したとか、はたまたナポリ料理が起源だとか、色々な説があります。有名な料理あるあるですね。

ちなみにカルボナーラというのはイタリア語で炭焼き風という意味だそうで、薪から木炭を作る「炭焼き職人」が食事を簡単に済ませる為に考案したという説もあります。個人的にはこの説が一番好きです。

素朴で素敵じゃないですか。

 

 

 

元祖kpop!チョー・ヨンピルを君は知ってるか?2

前回の記事ではチョー・ヨンピルさんの経歴や人物像について紹介したので、

今回は何曲か翻訳していきたいと思います。
 
 
1.釜山港に帰れ
 
 
ご存知の方も多いと思います。
 
 
 

꽃피는 동백섬에 봄이왔건만
형제떠난 부산항에 갈매기만 슬피우네 
오륙도 돌아가는 연락선마다
목메여 불러봐도 대답없는 내형제여
돌아와요 부산항에 그리운 내형제여

가고파 목이메여 부르던 이거리는 
그리워서 헤메이던 긴긴날의 꿈이였지
언제나 말이 없는 저물결들도 부딪혀 
슬퍼하며 가는길을 막았아섰지
돌아왔다 부산항에 그리운 내형제여 

 

1.花咲く椿島*1に春が来たけれど

兄弟の去った釜山港には 哀しげに鳴くカモメだけ

五六島*2 に連絡船が戻るたび

咽び呼び叫んでも返事のない我が兄弟よ

帰れ釜山港へ 恋しい我が兄弟よ

 

2.戻りたくて咽び呼び叫んだこの街は

懐かしくて 彷徨った長い夢だった

いつもは無口なあの波も

打たれ悲しみ 行く手を阻んでたよ

帰ってきた 釜山港へ 恋しい我が兄弟よ

 

この曲はチョー・ヨンピルの代表曲で、日本でも美空ひばりさんや森昌子さん、森進一さん、天童よしみさんなど多くの歌手によってカバーされています。

 

 

2.ダンバルモリ(おかっぱ頭) 

 

映画「タクシー運転手」を観たことがある方ならピンと来るはず。主題歌に使われてます。

 

 

 

그언젠가 너를 위해 꽃다발을 전해주던 그소녀 
오늘 따라 왜이렇게 그소녀가 보고싶을까 
비에 젖은 풀잎처럼 단발머리 곱게 빗은 그 소녀 
반짝이는 눈망울이 내 마음에 되살아나네 

내 마음 외로워질때면 그날을 생각하고 
그날이 그리워 질때면 꿈길을 헤메이는데 
음- 못잊을 그리움 남기고 
그소녀 대려간 세월이 미워라 
으---음 
으---음 

그언젠가 나를 위해 꽃다발을 전해주던 그소녀 
오늘따라 왜이렇게 그소녀가 보고싶을까 
비에 젖은 풀잎처럼 단발머리 곱게 빗은 그 소녀 
반짝이는 눈망울로 내마음에 되살아나네 

내 마음 외로워질때면 
그 날을 생각하고 
그 날이 그리워질때면 꿈길을 헤메이는데 
으-음 못잊을 그리움 남기고 
그 소녀 데려간 세월이 미워라 
으-음 
으-음 

그언젠가 나를 위해 꽃다발을 전해주던 그소녀 
오늘따라 왜 이렇게 그소녀가 보고싶을까 
비에젖은 풀잎처럼 단발머리 곱게 빗은 그 소녀 
반짝이는 눈망울로 내마음에 되살아나네 

いつだったか僕の為に花束をくれたあの娘

今日に限って何故こうも会いたいのだろう

雨に濡れた葉っぱのように おかっぱ頭を綺麗にとかしたあの娘

キラキラした瞳が僕の心に蘇る

※ 寂しい時はその日を思い

  その日が恋しくなれば

 夢の中を彷徨う

ウー 忘れられない恋しさを残し

あの娘を連れ去った歳月が憎い

 

繰り返し

 

 

 

3.恨(ハン)年

 

恨(ハン)とは恨みの感情ではなく、叶えたい願望や境遇があるにも関わらずそれが成し遂げられないことへの焦り、諦め、それでも諦め切れずに未練に心をくすぶらせるような心情を意味します。

早い話が感情のしこりです。ポルトガル語サウダージに近いかもしれません。

 

朝鮮半島は日本や中国など大国に翻弄され、荒らされてきた歴史があり、無念のうちにこの世を去ってしまった人々も大勢いたことでしょう。

そういった歴史的背景から、独自の恨(ハン)の文化が形成されて行ったのでしょう。

 

 

한 많은 이세상 야속한 님아
정을 두고 몸만 가니 눈물이 나네
아무렴 그렇지 그렇구 말구
한 오백년 살자는데 웬 성화요
백사장 새 모래밭에 칠성단을 보고
님 생겨 단하고 비나이다
아무렴 그렇지 그렇구 말구
한 오백년 살자는데 웬 성화요

- 간 주 -

청춘에 짓밟힌 애끊는 사랑
눈물을 흘리며 어디로 가나
아무렴 그렇지 그렇구 말구
한 오백년 살자는데 웬 성화요
한 많은 이세상 냉정한 세상
동정심 없어서 나는 못 살겠네
아무렴 그렇지 그렇구 말구
한 오백년 살자는데 웬 성화요

아무렴 그렇지 그렇구 말구
한 오백년 살자는데 웬 성화

 

恨(ハン)多きこの世 薄情な人よ

情を遺し去って行くなんて 酷いお方よ

そうさ そうだろう そうだとも 

恨(ハン)500年 生きようというのに

何と嘆かわしい事か

 

青春に踏みにじられた 痛ましい愛

涙の中 何処へ

そうさ そうだろう  そうだとも

恨(ハン)500年 生きようというのに

何と嘆かわしい事よ

恨多きこの世 世の薄情な事

同情心なくして 私は生きられない

そうさ そうだろう  そうだとも

恨(ハン)500年 生きようというのに

何て嘆かわしい事よ

 

 

チョー・ヨンピルの魅力は、高いながらも太いハスキーボイスで全身全霊を込めて高らかに叫び歌う、ソウルフルな歌声に尽きます。

なかなか日本では見かけないタイプで、とても韓国的だと思います。

 

韓国の歌手についてはまたご紹介したいと思います。

 
 
 
 

元祖kpop!チョー・ヨンピルを君は知ってるか?

 

チョー・ヨンピルって言われて分かる人は、相当な韓国通もしくは中高年世代の方ではないかと思います。

 

一時期日本でも活躍していたんですけどね。

紅白歌合戦にも何度か出ていましたし。

 

チョー・ヨンピルは元祖kpopスターとも言うべき存在で、1970年代からかれこれ50年近く活動する超大御所のシンガーソングライターです。

若い人の間でもよく知られています。

 

チョー・ヨンピルは1950年3月21日に韓国の京畿道は華城(ファソン)市に生まれます。

父親が非常に厳格な人物だったようで、息子に何としても弁護士か医師の道に進む事を望んでいたようです。

そのため、若きヨンピル少年が音楽に目覚めギターを手にするや、そのギターを目の前で叩き壊してしまった事もあるそうです。

 

結局チョー・ヨンピルは家出をしてしまいます。

そして1969年、在韓米軍基地内にある通称"米8軍舞台"にて活動を開始します。

以前見た彼のドキュメンタリー番組で、その当時を振り返り「食事の時間と寝ている時間以外は1日中ギターの練習をしていた。当時が一番幸せだった」と語っていたのが印象的でした。

 

そして1976年に、後に彼の代表曲であり日本でもよく知られる「釜山港に帰れ」が大ヒット。

一躍スターダムにのし上がります。

 

ところが、このすぐ後に彼に大きな試練が降りかかってきます。

これは、韓国現代史の中でも取り上げられる事がある事件なんですが、"大麻事件"と言われる芸能界の一大スキャンダルに彼が関わっていたという事で彼は芸能界から一時期追放される事になってしまいます。

 

ただ、彼が只者ではないのが、干されている間に山に篭ってパンソリという韓国の伝統芸能の修行に打ち込んでいたんですね。

パンソリ「スクテモリ(乱れ髪)」より

 

パンソリというのは、一人オペラとも言われる韓国伝統の歌唱芸能で、非常に高度な歌唱技術と感性が求められ、人の声の限界に挑戦する芸能とも言われています。

修行してパンソリの歌い手になる為には人生をかけなければならないと言われているほどです。

それほどまでに厳しい世界に身を投じたのですから、只者じゃありませんね。

実際、血を吐くほど修行したとか、腹の上に岩を乗せて歌ったとか、嘘か本当かよくわからない伝説が彼にはつきまとっています(本人は否定しているようですが)。

 

そうして紆余曲折の後、1980年に「窓の外の女」で正式にデビュー。

同年、後に日本でも話題になった韓国映画「タクシー運転手」の主題歌にも選ばれることになる「ダンバルモリ(おかっぱ頭)」が大ヒット。

1980年代、彼は韓国の主要な歌番組の常連となり、

数々の賞を総なめにするなど名実共にトップスターになります。

 

1990年代以降は大きなヒット曲こそないものの堅実な活躍を見せ、

2000年代には北朝鮮平壌で公演を行い話題になったりなどもしました。 

2013年には久々のヒット曲「bounce(バウンス)」が大ヒット。

 

2018年にも南北交流事業として北朝鮮平壌で公演を行うなど、旺盛な活躍ぶりを発揮しています。

 

長くなってきたので、次回は彼の代表曲のうち何曲かを歌詞と共にご紹介することにします。

 

オランダ人はニシンを食べる

オランダ料理って言われて何か思い浮かぶ方は、結構異文化に精通している方だと言えるのではないでしょうか。

それほど、日本ではオランダ料理はマイナーな存在です。


鎖国していた江戸時代にあってオランダは国交を維持していた数少ない国であり、日本とは非常に関わりが深い国でもあります。

また、第二次世界大戦中のオランダ人捕虜への待遇やオランダ人女性の性奴隷など、負の歴史を抱えている国でもあります。


このようにヨーロッパ諸国の中でも日本と最も関係が深いオランダ王国の料理ですが、私たち日本人はほとんどその実情を知りません。

ゴーダチーズや牛乳など乳製品が有名、ぐらいではないかと思います。


なので、オランダで最もポピュラーな料理が実はハーリングと呼ばれるニシンの塩漬けであるなどと言われたら驚かれるに違いありません。

そうなんです、オランダではニシン漁が解禁される日は国中がお祭り騒ぎになるほどハーリングが国民的な人気を誇っているそうなんです。

日本人にとってのラーメン、韓国人にとってのキムチ、イタリア人にとってのパスタのように、オランダ人にとってはハーリングソウルフードなのだそう。


そして、当然といえば当然かもしれませんが在蘭日本人にもハーリングは非常に人気があるそうです。

わさび醤油でご飯の上に乗せて「パーリング丼」にして食べる方もいるとか何とか。

普通に美味しそう。日本酒にも合いそうですよね。


しかも、ハーリングは日本の影響ではなく、中世から続くれっきとした伝統食なんです。

海洋国家の中世オランダは、ニシン漁で富を蓄えてきたので、それだけにニシンに対する格別な思いがあるのも不思議ではないと思います。


ちなみにニシンはヨーロッパではポピュラーな魚で、酢漬けや燻製、缶詰にして食べられています。

世界一臭い事で有名なシュールストレミングも、

発酵ニシンの缶詰です。

僕の友人は、練馬公園で仲間数人とシュールストレミングを開けていたところ、何故か近くを通っていた飼い犬が何匹も押し寄せてきて驚いたという謎エピソードを披露してくれました。何か、どうもシュールストレミングのあの臭気は犬が好むらしいです。ってまぁこれは別に関係ないですね。


ハーリング成城石井でも売ってるらしいので、ぜひ試してみたいと思います。

試してみたらまた体験記でも書こうと思います。