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キムチの歴史〜キムチって何だ!

キムチはご存知の通り韓国の伝統的な保存食品で、世界五大健康食品のうちの1つです。

また、日本で最も売れている漬物であり、キムチの消費量は韓国に次いで日本が2位と、我々にとって身近な食品です。

しかし、その歴史についてはあまり知られていないようです。

特に、今の真っ赤なキムチがいつどこでどのように出来上がっていったのか、韓国でもあまり知られていないようです。

 

1.そもそもキムチとは

 

 

結論から言いましょう。

キムチとは野菜や魚介類を発酵させた保存食品、つまり発酵食品です。

 

作り方は地方によって、また南北でも違いますが、

主に薄く塩漬けした白菜やネギ、ニラ、大根など野菜をヤンニョム(唐辛子、ニンニク、生姜、ネギ、ニラ、大根、ニンジン、イワシイカナゴなどの魚醤、イワシやアミの塩辛などで作ったもの)に漬け、発酵させます。

また、朝鮮民主主義人民共和国では新鮮な生のスケソウダラを加えたり、薄い塩水や牛肉のスープを加えて発酵させることもあるようです(実際、現地のキムチは汁が多いです)。

また、当然ながら各家庭や店によってもレシピは多種多様です。

ですが、様々な材料を発酵させて作るという点で共通しています。

 

2.キムチの発祥

キムチの起源については我々が想像する以上に韓国においてはセンシティブな問題で、特に現在問題になっているのが中国による起源説。

2010年代以降、キムチを中国文化だとする官製プロパガンダが積極的に行われるようになります。

もちろんこれはとんでもない話で、キムチは歴然とした韓国・朝鮮の伝統文化です。

しかし、遠く起源を辿れば中国に行き着くことは否定出来ません。

例えば韓国の食文化について最も優秀な学者といわれた故・李盛雨(イ・ソンウ 1928〜1992)、張智弦(チャン・ジヒョン 1928〜)、尹瑞石(ユン・ソソク 1923〜)らは、異口同音に中国から朝鮮に、さらに朝鮮から日本に漬物が伝わったと主張しています。

しかし、中国由来の漬物と現在のキムチを結びつけてキムチ=中国文化とするのは文化の簒奪以外の何物でもありません。中国政府による官製プロパガンダは所詮感性プロパガンダに過ぎず、文化的帝国主義との批判を免れ得ないでしょう。

それがまかり通るなら日本のラーメン、例えばラーメン二郎も中国文化という事になってしまいます(まぁあんなジャンキーなものの「起源」を中国が欲しがるとは思えませんが)。

今の朝鮮半島で一般的なキムチは間違いなく韓民族(朝鮮民族)固有の文化といえます。

 

3.いつからキムチは赤くなったのか

私たちがキムチと聞いてまず思い浮かべるのは何といっても真っ赤な白菜キムチや大根のキムチでしょう。

ですが、古来から唐辛子が使われていた訳ではありません。

朝鮮半島にいつ唐辛子が伝来したのかは諸説ありますが、1597年の秀吉軍による朝鮮侵略の際に、既に日本に伝わっていた唐辛子が朝鮮半島に持ち込まれた、という説が最も有力なようです。

それから100年ほどはその見た目や味などで忌避されていましたが、次第にキムチをはじめ料理に持ちいられるようになりました。

 

今日私たちがキムチと言われて思い浮かべる赤いキムチは、慶尚道全羅道など朝鮮半島の南部地域を中心に18世紀中頃から庶民層を中心に普及し始めます

それは、唐辛子の赤さによる呪術的効果を求めたためでもあったようです。当時、朝鮮半島ではシャーマニズムやアミニズムが一般に広く根付いていたため、赤色の持つ神秘的な力を食事にも求めたのです。

 

やがて、赤色の視覚的な美しさが見出されるようになり、庶民層や両班層(貴族)といった階層の違いや地域の違いを超え、赤いキムチが普及していきますが、朝鮮半島全地域にわたって普及するには20世紀半ばまでを待たなければなりませんでした。

 

このように、今日私たちの知る赤いキムチが登場したのは18世紀の中頃からですが、全域に普及したのは20世紀の中頃と、2世紀に亘ります。

 

4.白いキムチもある

キムチと言うと、唐辛子をふんだんに使った赤いキムチが最も一般的です。

ですが、最近日本でも徐々に認知されてきましたが「水キムチ」という赤くないキムチもあります。

これは、主に大根や白菜などの主材料にセリ、ニンジン、赤唐辛子、青唐辛子、ニンニク、白菜、ナシ、もち米粥などの副材料を加え、水に浸して発酵させたものです。何とも言えない爽やかでスッキリした酸味があります。とても美味しいです。冷麺のスープに用いられることもあります。

また、通常の赤いキムチから唐辛子だけを抜いたような、白キムチ(ペッキムチ)というものもあります。

 

 

 

 

5.キムチの素材

日本では白菜キムチ、大根キムチ、きゅうりキムチあたりが一般的ですが、本場ではわけぎや白ネギのキムチ、アルタリムと呼ばれる小さな大根を用いたチョンガッキムチ、大根の葉のキムチ、更にはぶつ切りのスケソウダラやカレイなど、実に200種類以上あるとも言われます。

余談ですが、韓国では最も一般的なポータルサイトであるネイバーで画像検索すると、ブドウやイチゴ、さらにはドリアンのキムチまで出てきます。

素材の数だけキムチが作れると言えそうです。

 

漬け材料には粗挽き唐辛子やニンニクのほかに生姜、大根、なし、りんご、わけぎ、せり、からし菜、イワシイカナゴの魚醤、イワシやアミの塩辛、もち米粥などが用いられ、これらの材料の相互作用により辛いだけではない、複雑で豊かな味わいが生まれます。

 

 

6.地域別キムチ事情

南北に長く、また各地域同士が山に隔てられた朝鮮半島の特性上、キムチにも地域差が存在します。

以下、各地域別にキムチの特徴について解説していきます。

 

 

・ソウルや仁川をはじめとする京畿道(キョンギド) 

塩辛くもなく薄くもない。漬け汁の量も少なくなければ多くもない。種々の材料を豊富に用いる。

塩辛はグチ、アミが主。

 

全羅道(チョルラド)

全羅道は韓国の南西部に位置する地方で、ビビンバで有名な全州(チョンジュ)、ホンオフェ(熟成ガンギエイの刺身で世界で2番目に臭い食べ物と言われる)で有名な木浦(モッポ)などがあります。

朝鮮半島の穀倉地帯とも言われ、美食の都としても有名な地域ですが、南部に位置するだけあって温暖な気候なため食材が傷みやすく、塩辛や香辛料も他の地方と比べて多用する傾向があります。

一説によると、今の真っ赤なキムチも元は全羅道が走りだとも。

キムチはやや塩辛く、辛味が強くコクのある濃厚な味が好まれるようです。

漬け材料も同じく南部に位置する慶尚道(キョンサンド)と比較してふんだんに用います。

塩辛はアミ、グチ、カタクチイワシなどを塩辛汁にして用いたり、砕いて用います。特にカタクチイワシの塩辛が多いようです(以前、新大久保の韓国スーパーで購入した「全羅道キムチ」というブランドのキムチも漬け材料にカタクチイワシの塩辛が入っていました)。

 

 

 

 

 

慶尚道(キョンサンド)

同じく朝鮮半島南部に位置する全羅道のキムチとの差は、塩辛をよりふんだんに用いる事、より辛味が強い事。また、漬け材料の生姜の量は少ない事。

 

 

済州島

済州島は日本でもリゾート地のイメージが強いですが、独特で固有の文化を持ちます。

朝鮮半島の他地域と比較して冬も温暖なので、越冬用にキムチを大量に漬け込む習慣は本土ほど盛んではなかったようです。

 

 

咸鏡道(ハムギョンド)

現在は朝鮮民主主義人民共和国に位置する咸鏡道ですが、朝鮮半島北東部に位置するとても寒い地方なため、自然冷凍したスケソウダラのぶつ切りを入れたりと地の利を活かしたキムチが特徴です。

また、薄い塩水で浸してから漬けます。

塩辛はあまり使わず、唐辛子の使用量も控えめです。

そのため、慶尚道全羅道のものと比較してマイルドな味わいになります。

 

 

平安道(ピョンアンド)

平壌がある平安道のキムチも、咸鏡道と同じく唐辛子や塩辛の使用量は控えめですが、咸鏡道よりは多く、漬け汁に牛アバラの骨を煮込んで脂を除去したスープを用いることもあります。

また、大根の水キムチはここ平安道が発祥と言われています。

 

黄海道(ファンヘド)

漬け汁が多い点では平安道咸鏡道と共通しますが、やや味付けは濃いようです。

また、パクチーのキムチが名物で白菜キムチにもパクチーを加えるなど特徴的です。

塩辛はアミやグチを用います。比較的、京畿道のキムチに近いように思います。

 

江原道(カンウォンド)

江原道は朝鮮半島中部の東側に位置し、朝鮮半島で唯一南北双方に存在する道です。

北朝鮮側には元山(ウォンサン)、韓国側には春川(チュンチョン)や江陵(カンヌン)などがあります。

 

キムチの味付けは中間的ですが、魚介類が多く用いられます。塩辛はカタクチイワシやアミが主流です。

また、白菜より大根の栽培な盛んなので、他地方と比べて大根キムチをより多く漬けるようです。

細切り大根と自然冷凍のスケソウダラをふんだんに用いたチェキムチが名物です。

 

まとめ

日本でもすっかり定着したキムチですが、どのような歴史を持ちどのように作られるのかはあまり知られていないような気がします。個人的にはこれほど知れば知るほど楽しい、そして奥が深い漬け物もなかなかないと思いますね。

もっとキムチについてより知られると良いなと思います。

 

 

 

 

 

アラブ料理〜レバノン編

アラブというと日本でイメージされるのは石油、イスラーム、砂漠、ラクダ、そして過激派や戦争などでしょうか。断片的で、偏ったイメージばかりが先行しているようです。

また、一般的にはあまり良いイメージを持たれていないようでもあります。これはメディアにも責任があると思いますが、一方で私たちもアラブに対して関心を持とうとすらしない事も、メディアによる偏った報道を助長させていると思います。

しかし、アラブ圏の食文化は非常に魅力的で多様性に富んでいます。

知らないのはもったいない。なのでぜひ知っていただきたいです。

今回はアラブの中でも野菜やオリーブオイルをふんだんに使用したヘルシーな健康食として、欧米でも名高いレバノン料理について書きます。

 

※ちなみにアラブというのは定義の仕方がいくつかありますが、一般的にはアラビア語が話される地域の事を言います。なので、ペルシア語のイランやパシュトー語ダリー語アフガニスタンウルドゥー語パキスタンなどは一般的にはアラブには含まれません。

 

1.レバノン料理とは

レバノン料理は周辺のシリアやイスラエルパレスチナなどの料理と共通点が多いですが、ギリシャやトルコの影響も受けています。

代表的な料理としてはやはり「ファラフェル」と呼ばれるひよこ豆のコロッケが挙げられます。

主食としてはフブズというイースト菌を使わないピタパンがあります。

主菜は肉が中心で、中東全般に見られる羊の串焼きが人気ですが、やはり肉食が文化として根付いてるだけあって日本よりもその種類が豊富です。

クッべ・ナーイエという、羊肉のたたきまも食べられます。

レバノンの首都・ベイルートには日本人はじめアジア人があまりいないのにも関わらず寿司屋がやたら多く、その理由が生の羊肉を食べる文化があるので生魚にもさほど抵抗が無いためだとか。普通に美味そうなんですが。

レバノンは中東の中でも比較的クリスチャンが多い国ではありますがやはりイスラム教徒が多数派で、

羊肉が非常にポピュラーです。

その分、当然バリエーションも豊か。脳みそも食べます。茹でてオリーブ油とニンニクで食べたりします。

羊の脳みそは僕も日暮里のイラン料理店で食べたことがありますが、案外さっぱりしていて中々でした。

新宿の上海料理店で豚の脳みそも食べたことがありますが、イメージと違い羊の方がさっぱりして食べやすかったです。

 

チーズをはじめ乳製品も人気です。

古来より羊、山羊、牛、水牛から乳を絞り乳製品を作る伝統があるので、バリエーション豊かな様々なチーズが食べられています。

とりわけ首都ベイルートでは、自国のチーズのみならず世界中のありとあらゆる国のチーズが手に入るとか。チーズ好きにはたまりません。僕も幼稚園の頃から既にブリ・チーズを好むぐらい、舌の肥えたませたガキだったので、レバノンに移住しようかと半ば本気で考えました。

また、アラブの中では比較的アルコールに寛容で、

特にレバノンワインは世界的にもその品質の高さで有名です。

 

主なレバノン料理

 

メッゼ(前菜)

レバノン料理は野菜が豊富で、レバノン系移民が多いヨーロッパでは健康志向も相まってポピュラーなんですね。

代表的なメッゼとして、フブズ(後述)をちぎりスプーンの代わりにしてすくって食べる、ペースト料理があります。

中でもホンモスというヒヨコマメのペーストは代表的です。

ペーストにしたヒヨコマメに塩やニンニク、レモン汁などを中央部が窪むよう加え盛り付け、そこにオリーブ油をたっぷり垂らして、周りに唐辛子の粉末をふりかけたもので、栄養満点です。

 

 

 

・ファラフェル

レバノン料理といえばこれ、というぐらい非常にポピュラーな、ひよこ豆のコロッケ。

 

全編アラビア語ですがレシピ動画

 

日本語によるレシピ動画もありました

 

潰したひよこ豆もしくはそら豆をスパイスを混ぜ合わせ、揚げた料理ですね。これはご飯が欲しくなりそう。

 

・カフタ

中東全域で見られる、ミートボール状の料理。

串焼きにしたり、オーブンで焼いたり、煮込んだりして食べます。

 

・ケバーブ

これも中東ではポピュラーな、肉の串焼き。

当然ですが豚肉は使われません。

牛肉または羊肉がポピュラーです。

 

・クマージュ

主食で、いわゆるピタパンです。

 

食後の飲み物

トルココーヒーがポピュラーです。

一方で、アラブ諸国に広く見られるアラブ・コーヒーも存在します。

カルダモンの香りがするコーヒーをお猪口のような器に注いで飲みます。

 

 

まとめ

レバノン料理は非常にヘルシーで、近年のエスニック料理の定着ぶりからして日本での流行も時間の問題だと思います。ジョージアの郷土料理が大ブームを巻き起こすぐらいですからね。何かきっかけさえあればブームになり、いつしか定着するのではないでしょうか。

日本でレバノン料理が気軽に食べられるようになれば、家庭料理にも登場するようになるかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

年代で見る韓国インスタントラーメンの歴史

いまや日本のスーパーやコンビニでもよく見かけるようになった韓国のインスタントラーメン。

統計によると、韓国は一人当たりのインスタントラーメンの消費量が世界一位なんだそうです。

 

1963年の初登場から、現在に至るまで、韓国のインスタントラーメンはどのように発展してきたのでしょうか。

 

1.1960年代:黎明期

1960年代初頭、韓国からある企業家が出張のため来日していました。彼の名はチョン・ジュンユン。

朝鮮戦争後の食糧難と極度の貧困に喘ぐ韓国の現状に心を痛め、「安く腹を満たせる食品の必要性」を痛感します。そこで、ラーメンの生産に乗り出しますがノウハウが皆無なため失敗。日本へ向かい、明星食品に技術提供を依頼します。

何度も断られてしまいますが、涙ながらに訴えるチョン会長の姿が当時の明星食品社長の心を動かします。

結果、生産過程や配合技術など全ての技術を無償で譲り受け、1963年に韓国初のインスタントラーメン「三養ラーメン」が発売されました。

 

2.1960年代中盤:普及

しかし、当初はその珍しさから普及に難航します。

そこで、劇場や公園などで試食会を開催しラーメンの広報に乗り出します。

発売から数年後には売り上げも上がり、三養食品は黒字を記録しました。

また、ラーメンの普及における決定的な出来事として、1965年に開始された韓国政府による国民の飢餓解決策「混粉食奨励運動」があります。これには、米以外の雑穀と小麦粉の消費を奨励し、米の消費を抑える狙いがありました。

自然とラーメンの消費も伸びて行きます。

1965年には、辛ラーメンやノグリラーメンで日本でも知られている農心の前身であるロッテ工業が、ラーメン製造に乗り出します。

 

1970年代:発展・高品質化

1960年代から韓国は高度経済成長期を迎え、1970年代の中盤にはそれまで優勢だった北朝鮮を追い抜きます。国民の所得も向上し、経済的に余裕が出てくる中でラーメンの品質も向上していきます。

また、それまでは恐らく日本のラーメンに影響を受けた鶏肉出汁のスープから、より韓国人の味覚に合った牛肉出汁のスープが主流になっていきます。

 

1980年代:多様化

1980年代に入ると、軍事独裁政権とはいえ社会に自由化の波が押し寄せてきます。

経済が益々成長していく中で、プロ野球リーグの創設や性産業の規制緩和、カラー放送の開始など、70年代とは違い娯楽が多様化していきます。

ヤンニョムチキンの登場やダンキンドーナツの韓国進出など外食産業も成長を見せる中で、ラーメンも多様化していきます。

様々な企業がラーメン製造に参入し、競争も熾烈化していきました。

1983年には韓国ヤクルトが、1986年にはピングレが、1987年にはオットゥギなど、現在では日本の市場でも見かけるメーカーがラーメン業界に参入しました。

あのノグリラーメンや辛ラーメンもこの時代に登場しました。

 

1986年の初登場時の辛ラーメンのCM

 

1990年代:競争の激化

1990年代に入ると、韓国ラーメン業界の競争が益々激化していきます。

様々な商品が次々に市場に回り出し、特にそれまで袋麺が中心だった韓国に本格的にカップ入りのラーメンが普及したのもこの時期です。

1998年にはラーメン業界全体の売り上げが初めて一兆ウォンを超えました。

1997年に韓国はIMF危機と呼ばれる大不況に襲われ、朝鮮戦争以来の国難とも言われるほど大変な状況でしたが、安くて手軽に腹を満たせるラーメンはきっと当時の韓国人に力を与えたことでしょう。

 

 

2000年代:海外進出

2000年代、海外進出を本格化させます。

既に1990年代に中国やロシアへの輸出を開始していましたが、LAに工場を設立するなど2000年代は韓国ラーメン業界において一つの転換点になりました。

日本で韓国のラーメンが一般にも認知されたのも2000年代からではないかと思います。

 

割と最近のものですがアメリカの辛ラーメンのCM

 

アメリカの刑務所では韓国のラーメンが人気だという内容の動画。その理由は、アメリカの刑務所は民間業者が運営する場合が多く、経費削減の為に最も削られるのが食費なのだそうで、1日に2食しか出されない日や冷たい食事が出される場合も頻繁にあるのだそうです。その為、温かく食べられる上に長期保存が利くラーメンはドルがわりになるほど人気が高いのだとか。韓国語分かる方はぜひ見てみてください。

 

2010年代前半:「白いスープ」ブーム

辛く赤いスープが中心だった韓国のラーメンに一つの大きな変化があったのは2011年。

料理番組で人気タレントのイ・ギョンギュが披露し話題を呼び、パルド食品により商品化された「コッコ麺」は、鶏肉ベースのあっさりとした味わいのスープに、半透明のスープとそれまでの韓国のラーメンとは一線を画すものでした。

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   コッコ麺

 

その後、三養食品が「長崎チャンポン」を商品化するなど韓国ラーメンの潮流が変わるかのように思われましたが、2年も経たないうちに白いスープブームは終焉を迎えてしまいます。

 

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三養の長崎チャンポン

 

その後は「プルダック炒め麺」の人気に象徴される激辛ブームが到来し、トレンドは完全に回帰したようです。

「白いスープ」のブームは長年辛いスープに慣れ親しんできた韓国人の嗜好を変えるまでには至らなかったようです。

 

2010年代中〜後半:韓国外における人気

2010年代も中盤に差し掛かると、韓国のラーメンは海外においても少なからず影響力を発揮していきます。その例として、映画「パラサイト」に登場した「チャパグリ」の日本でのブームや、周辺諸国におけるコピー商品の販売、北朝鮮の富裕層への流通などが挙げられるでしょう。

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北朝鮮版プルダック炒め麺(辛い鶏風味のチャジャンミョンと書かれてあります)

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左が日本のコピー商品、右が韓国のプルダック炒め麺

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中国のコピー商品

 

まとめ

辛ラーメンやノグリラーメンをはじめ、日本でもかなり定着してきた韓国のラーメン。近年では、映画「パラサイト」の影響により「チャパグリ」がブームになったりもしました。

明星からの技術提供から始まった韓国のラーメンは、今や日本や中国、さらに北朝鮮でコピー商品が製造され出回るようになりました。

それには技術の向上は当然ですが、韓国大衆のラーメン愛がなければ有り得なかったことでしょう。

韓国のラーメンを見かけた時、その歴史に想いを馳せるのも楽しいと思います。

 

ありがとうございました。

 

ユ・ジェハ~韓国シティ・ポップのレジェンド

 

ここ数年、Kpopの勢いがすごいですよね。

防弾少年団に続いて、ガールズグループのブラックピンクもビルボード入りし、話題になりました。アイドルにあまり関心のない僕は、「すごいな~」ぐらいにしか思っていないんですが…笑

僕は韓国の音楽は大好きですがアイドルではなく、主に90年代までの懐メロとりわけロックやバラード曲を好んで聴きます。その中でも、遺作となったアルバム1枚で80年代後半以降の韓国の音楽シーンを大きく変えたともいわれるほどの天才ミュージシャンがいます。

彼の名はユ・ジェハ。1962年に生まれ、1987年に自動車事故で25歳の若さでこの世を去ってしまうんですが、彼のたった1枚の遺作アルバム「愛しているから」は、死後に再評価されることになります。

 

 

1.作詞・作曲・編曲すべてを熟す

彼は作詞作曲のみならず編曲まですべて自ら行いました。

アルバム「愛しているから」に収録された楽曲は、何と全曲が彼の作詞・作曲・編曲によるもので、その他ギターやピアノ、ボーカル、シンセサイザーなど主要な演奏も彼によるものです。

また、当時新人アーティストであったため、スタジオでは周囲の目を気にしてなるべくワンテイクでレコーディングしたそうです。

 

2.「歌が変だ」という理由で放送局のオーディションに何度も落ちる

そんな彼も、生前に大きく注目される事はありませんでした。

当時韓国で流行していた歌は歌謡曲や演歌(韓国ではトロットと呼ばれます)が中心で、ロックやバラード曲もどこか歌謡曲調のものが多かったのですが、ユ・ジェハの曲はそのような当時の流行と大きく掛け離れていたのです。

そのため、テレビに出演しようと放送局のオーディションに臨むも、審査員や評論家からは「歌が変」「音程が不安定」という理由で何度も落とされてしまいます。

ようやく出演出来たのは1987年9月に放送された「若さの行進」で、亡くなる2か月前の事でした。これが、生前最初で最後のテレビ出演となってしまいます。

 

3.先輩アーティストから大きな注目を浴びる

評論家やテレビ局からは酷評されてしまいましたが、「釜山港へ帰れ」などで日本でも有名なチョ・ヨンピルや当時「光化門恋歌」などが大ヒットし、テレビ局からも引っ張りだこだったイ・ムンセ、韓国アングラ音楽界のレジェンドと呼ばれるキム・ヒョンシク、韓国フォーク・プロテストソング(反体制音楽)のレジェンド的存在のキム・ミンギなど、多くの先輩ミュージシャンからは大きく評価されます。

特に、前年「雨のように音楽のように」が大ヒットし、若者層のカリスマ的存在にもなっていたキム・ヒョンシク からはとても可愛がられました。

2人で夜通し酒を飲みながら音楽について語り合う事もよくあり、ユ・ジェハの死がキム・ヒョンシクの死期を早めた、とすら言われています(キム・ヒョンシクも1990年に、酒の飲み過ぎと大麻による健康悪化が原因の肝硬変でこの世を去ります。奇しくもユ・ジェハが亡くなった11月1日に…)

 

4.当時の韓国音楽シーンとは一線を画す斬新なサウンドと美しい歌詞

ユ・ジェハは漢陽大学の音楽部作曲科の出身です。

自分が好きなポピュラー音楽に、自身の専攻のクラシック、ジャズの技法を取り入れます。

大学在学中、課題を提出したところ教授から「いくら忙しくてもモーツァルトから曲を盗用したらダメだろう」と叱られた事があるほど作曲の才能がありました。

当時の韓国で人気があったのは、専ら歌謡曲調のバラードやトロットと呼ばれる演歌が中心で、そこにダンスミュージックが流行し始めていたのですが、

ユ・ジェハの音楽はそれらの流行とは一線を画す、前衛的で洗練されたものでした。

僕は楽器にあまり詳しくないので、同時期に流行していた曲と比較して貰えればと思います。

 

イ・ムンセ「光化門恋歌」

 

今でも韓国音楽界の第一線で活躍するイ・ムンセの代表曲。

冬、恋人と離別する前の5月の花の香りが懐かしくなり、光化門(ソウルにある景福宮の城門の遺跡)を訪れ、変わらない景色と跡形もなく変わってしまった自分の境遇とをオーバーラップさせる内容の曲です。

バラード色の強い曲ですが、歌謡曲的な雰囲気もあり非常に親しみやすい作品だと思います。

 

② イ・ジョンソク「愛しているから」

 

80年代後半から90年代前半にかけて絶大な人気を誇ったバラード歌手イ・ジョンソクの代表曲。

彼は1986年に大学歌謡祭で「初雪が降る」でデビュー、ヒットさせました。

恋人から別れを告げられ、黙って送り出しながらも受け入れられない葛藤を歌っています。

 

ソバンチャ「ゆうべの話」

 

「韓国の少年隊」とも呼ばれる、韓国初のボーイズ・グループ。日本から少年隊のビデオを取り寄せて振り付けを研究したとも言われています。

意中の人に振り向いてもらえない悲しみを歌っています。

 

以上3曲共に歌謡曲っぽさも残っていますが、

以下に挙げるユ・ジェハの曲はそういった雰囲気がほとんど感じられません。

 

① 愛しているから

彼の唯一にして遺作となったアルバムのタイトルにもなった曲です。

この曲を含めた8曲は、恋の喜び、別れの悲しみ、復縁とそれぞれストーリーがあります。

この曲は、その中でも復縁がテーマです。

 

 

 

② 覆われた道

別れの悲しみがテーマのこの曲は、彼の親友で韓国アングラ音楽のレジェンドとも言われるキム・ヒョンシクもカバーしました。

 

 

③ 心に映った自分の姿

この曲も別れの悲しみがテーマですが、より内省的な内容の歌詞です。

ドラマ「私のおじさん」の主題歌にもなりました。

個人的にはこの曲がユ・ジェハの曲の中では1番好きです。

 

 

ちなみにこの曲は彼の最初で最後のTV出演の際に歌われた曲でもあります。

 

 

1980年代に若者の間で絶大な人気を呼んだKBS(日本のNHKに相当する国営テレビ局)の「若さの行進」に出演した際の映像。残念ながらこれが最初で最後のTV出演になってしまいます。

 

他にもまだまだ紹介したい曲があるのですが、長くなりそうなのでここら辺にしておきます。

 

まとめ

たった1人で後の韓国ポピュラー音楽の方向性を大きく変えたと言われるほどの才能がありながら、25歳の若さで不慮の事故によりこの世を去ってしまいましたが、彼の作品は依然として輝きを全く失っていません。ただの流行歌手ではなく、歴史に残る音楽家であり、彼の影響を受けた韓国のアーティストが世界に向けて躍進するKpopに、更なる影響を与える事でしょう。

 

 

 

 

 

 

白菜以外のおすすめのキムチ5選

キムチといえば日本では白菜や大根、キュウリが専らですが、本場韓国では実に200種類以上とも言われるほど多種多様なキムチがあります。

むしろ、私は白菜キムチよりもそれらの日本ではあまり知られていないキムチのほうが好きだったりします(白菜キムチも大好きですが)。

 

白菜以外のキムチを知ることで、よりキムチの魅力に目覚めます。また、それぞれの素材の持つ栄養素をキムチを通してより効果的に美味しく摂取することも出来るので、ぜひ知っていただきたいと思います。

 

 

1.ニラキムチ

ニラは野菜の中でも匂いの強い部類に入りますが、そんなニラをキムチにするなんて。。。と思わずにぜひ試してもらいたいです。

ニラは匂いもありますが、独特の旨味があり、とくに肉類や卵との相性が抜群に良いんです。味の相性だけでなく、ニラに含まれるアリシンは豚肉に含まれるビタミンB1(チアミン)と結合してアリチアミンに変化します。

それによって効率よくビタミンB1を体内に吸収することができるので、特に豚肉を食べるときにニラキムチを食べることで、キムチの乳酸菌パワーとビタミンB1の摂取がかなうのでおススメです。

他には卵かけごはんと一緒に食べても美味しいですし、お酒のあてにも良いです。

インスタントラーメンにも合いますし(ただし塩分注意)、変わったところだとレトルトの参鶏湯と一緒に食べたときは感動しました。

なんにでも合いますし、栄養満点で本当におススメです。

 

2.わけぎキムチ

独特のシャキシャキ・クニクニとした食感と、ねぎ特有の味や香りがしながら辛味やクセがあまりないので、これだけでご飯のおかずになります。

 

わけぎはねぎの一種と思われがちですが、たまねぎの一種です。

ねぎと味や見た目は似ていますが、辛味やクセがねぎよりも控えめです。

食欲増進や疲労回復にも効果があります。

わけぎは韓国では「チョッパ(쪽파)」と呼ばれ、パ(파)はねぎを意味しますが、日本語でも漢字で「分葱」と書くので、発想が似ていて面白いですよね。

味は普通のねぎキムチよりも辛味やクセがなく、またわけぎ特有のシャキシャキ感も相まって絶品です。また、わけぎの疲労回復効果なのか、食べた後にすごく元気が出てきたこともあります(偶然かもしれませんが笑)。

 

個人的には白菜キムチより好きなんですが、日本のスーパーやデパートでは見かけないので韓国食品店やネットショップで購入されると良いでしょうね。

あらゆる手段を尽くしてでもぜひ食べていただきたいです。本当にはまります。

 

 3.チョンガッキムチ

独特のシャキシャキ・ポリポリとした食感がたまりません。

日本語ではかぶら大根というそうですが、チョンガンム(총각무)またはアルタリム(알타리무)という韓国特産の小ぶりの大根のキムチです。

本当に小ぶりなので、そのまま丸ごと漬け込んで丸ごと食べます。

それをかぶりつくのがたまらないんです。はっきり言ってカクトゥギ(カクテキ)などよりずっと美味しい!

また便秘解消や消化に良く、血圧を正常にする効果もあるようです。

栄養面でも優れているんですね。

そんなチョンガッキムチは肉料理によく合います。

個人的にはハンバーグと一緒に食べるのが好きです。ハンバーグと一緒に食べるのは、韓国ドラマ「応答せよ1988」に出てきた食べ方なんですが、付け合わせとしてチョンガッキムチを添えて出すシーンがあるんですね。ドラマの舞台となった1988年当時のの韓国では西洋料理がまだ珍しく、件のシーンでは慣れない西洋料理をふるまう当時の人たちを描いているわけですが、実際にやってみるとむしろゆで野菜よりもチョンガッキムチのほうがずっとハンバーグに合うと思いました。

ただ、日本のスーパーやデパートにはまず置いてないと思います。新大久保の韓国食品店に行けばあると思いますが、ネットで購入されたほうが確実でしょうね。

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※韓国食品店に置いてあった大量のチョンガンム

 

4.牡蠣キムチ

生またはゆで牡蠣のキムチです。

これもめちゃくちゃ美味いです。お酒のおつまみにも、ご飯のおかずにも最高ですし、栄養満点です。

気になるのは食中毒ですが、ちゃんとしたお店で購入されれば大丈夫でしょう。

僕は横浜市民なのですが、横浜橋通り商店街の「福美高麗人参食品店」というキムチ専門店で購入してます。

ネットで購入される場合はレビューや評判などを確認してから購入されるのも良いでしょう。

 

5.ヨルムキムチ

ヨルム(若大根の葉)を用いたキムチで、夏の定番です。

ヨルムは便秘予防、皮膚の弾力維持、目の健康、疲労回復に効果的。

苦みが若干あるので好みがわかれるかも知れませんが、私はこのヨルムキムチをビビンバの具にして食べるのが大好きです。シャキシャキしてみずみずしく、夏場にピッタリ。冷麺の上にのせて食べるのも美味しいです。

 

 

 

まとめ

キムチは身体にも良く、とても美味しいので健康を維持するうえでこれ以上ないというぐらい優れた食品です。そんなキムチも、いろいろな種類のものを食べれば飽きずに毎日食べることができますし、それぞれの食材からベネフィットを得ることも出来ます。

食生活を豊かにしながら健康を維持するために、ぜひ白菜以外のキムチにも目を向けてみてください。

 

 

 

 

 

 

ヨーグルト以外のブルガリアの食文化

ブルガリアの食文化について、日本ではヨーグルト以外ほとんど知られていないのが現状だと思います。

世界各国の料理レストランがある東京にもブルガリアレストランはほとんどありません。僕が知る限りでは2店ほどだったと記憶しています。

ブルガリアはかつてオスマン帝国の支配を受け、またアジアとヨーロッパの文化的な交差点という面もあるので、トルコやギリシャルーマニアアルバニア、旧ユーゴなど周辺国ときょうつう共通する特徴を持ちます。

 

今回は、主にヨーグルト以外のブルガリアの食文化についてまとめていきます。

1.家畜文化とブルガリア料理

ブルカリアは他のヨーロッパ諸国のご多分に漏れず、家畜文化を有する国の一つです。

この家畜文化を抜きにしてぶるがブルガリアの食文化は語れません。

ブルガリアでは、伝統的に家畜の中でも羊が最も多く飼育されてきました。

社会主義体制下の1989年ごろまででは、羊、豚、牛の中でも羊の占める割合は圧倒していました。その後1990年に社会主義政権が崩壊し民主化すると、家畜全体が激減しますが、それでも羊は相変わらず最も多く飼育される家畜です。

そのため、肉料理に羊肉を用いられることが多々あります。

以下に、主なブルガリアの肉料理を紹介します。

 

シュケンベ・チョルバ

トルコやギリシャルーマニアなど近隣諸国にも一般的に見られる料理で、牛や羊の胃を煮込んだスープです。二日酔いに効くと信じられているそうです。しじみ汁みたいですね。トルコのものと異なり、ブルガリアではミルクを入れることが多いようです。酔いを醒ませるのか疑問に思うほどこってりしてそうですが、ハンバーガーで酔い醒ましする人とかも結構いるみたいなんで、案外効くのかもしれませんね。

 

ケバプチェ

ひき肉にクミンや塩コショウを加えてこね、細長く固めて焼いたハンバーグです。ブルガリアのみならずバルカン半島では非常にポピュラーな料理で、国民食とも言われています。こっちで言うカレーライスやラーメンのようなものでしょうかね。ブルガリアではヨーグルトソースをかけて食べたりもするようです。書いててお腹減ってきました。。

 

キュフテ

ミートボール。ブルガリアをはじめ、バルカン半島全域から中東、南アジアにかけて広く見られる料理で、ひき肉にスパイスや玉ねぎを加えて作ります。ブルガリアではパンにはさんだ「キュフテサンド」もあります。

 

サルマ

ロールキャベツのことで、ルーマニアではサルマーレ、トルコではドルマと呼ばれています。中東からバルカン半島全域にかけて、かつてオスマントルコ支配下にあった地域で非常にポピュラーな料理です。間接的に、我々はブルガリアの食文化に触れてることになるかは分かりませんが、意外なところで共通点があったりするものです。

 

カヴァルマ

土鍋で肉と野菜をトマトで煮込んだ料理で、トッピングに卵やチーズをのせて食べます。個人的に、ブルガリア料理の中では飯テロ度ナンバーワンだと思います。松屋あたりがメニュー化しないかなぁ、シュクメルリみたいに。絶対売れると思うんですけどね、カヴァルマ定食。

 

 

 

 

 

2.ブルガリアのチーズ

ブルガリアでもやはりチーズはなくてはならない食材の一つで、チーズを用いた様々な料理があります。

ブルガリアの代表的なチーズに、シレネと呼ばれる白いチーズとカシュカバルと呼ばれる黄色いチーズがあります。

シレネとは塩漬けにして作られるチーズのことで、ギリシャフェタチーズとよく似ています。

カシュカバルとはイタリアのカチョカバロチーズのようなもので、モッツァレラチーズを熟成させたハードまたはセミハードタイプのチーズです。

ブルガリアでは特にシレネが国民食とも言われるほど。家庭でもよく作られ、ブルガリアの食卓に無くてはならない存在です。

以下、チーズを用いたブルガリア料理を紹介します。

 

ショプスカサラダ

オリーブ油またはヒマワリ油で和えたトマト、キュウリ、タマネギ、唐辛子の上にシレネをたっぷりかけて食べるサラダで、ブルガリア料理を代表するメニューでもあります。ラキヤというプラムブランデーのおつまみとしても人気のようです。体にも良さそうなうえ、非常に食欲をそそられますね。夏場に食欲のないとき、そうめんなんか食べないでショプスカサラダを食べればよいと思います。

 

ミシュマシュ

ショプスカサラダに溶けたチーズとトマトを入れて煮込んだもの。手抜き料理っぽいですが、これまた非常に美味そうです。ミシュマシュとはブルガリア語で「めちゃくちゃ」を意味するそうです。開き直ってる感じが好きです。

 

シレネ・ポ・ショプスキ

土鍋にシレネとトマトとサラミを入れ、卵をのせて焼いた料理です。さっきから美味そうなものばっかり出てくるんですが

 

3.デザート

スラトコ

ブルガリアのジャム。果物本来の味わいと食感が魅力です。毎朝のトーストに塗って食べたらそれだけでテンション上がりそうです。

 

ロクム

砂糖にでんぷんとナッツを加えて作る、トルコ由来のお菓子です。カラフルで、見ているだけでも満足しそうです。

 

バクラヴァ

生地の間にヘーゼルナッツやクルミ、ピスタチオなどを挟んで焼き上げてからシロップをかけた、カロリー爆弾のようなケーキ。でもそういうのに限って美味いんですよね。

 

 

まとめ

ブルカリアの食文化は、トルコなどかつての支配国による影響を受けながら、ルーマニアアルバニアセルビアギリシャなどの周辺諸国との共通点も持ち合わせつつ、独自の食文化も有する非常に魅力的なものです。もうちょっと日本国内での知名度が上がっても良いと思います。

パンソリ〜声の限界に挑戦する朝鮮半島の歌唱芸能

 

私は結構世界各国の伝統芸能が好きなのですが、

その中でもとりわけ朝鮮半島のパンソリに対する思い入れが強いです。

人間の発声の限界に挑戦するような苛烈を極める鍛錬を経て、最終的には声を使って繊細な感情表現のみならず鳥の鳴き声や川の流れる音など自然界の音をも表現する、声を使った芸能の中でも最上級の芸能の一つ、それがパンソリです。

 

 

イム・パンウル、20世紀中盤のパンソリ名唱ーパンソリの世界では名人の事を名唱と呼びますーです。

最も有名な「スクテモリ(乱れ髪の意)」という曲目で、

朝鮮文学としても名高い「春香伝」の中の一曲です。

これは、獄中に繋がれながら愛する人への想いを叫ぶ内容の曲です。

ただの愛の歌ではなく、悪徳官吏の求愛を拒んだ結果投獄された女性が、愛する男への再会を半ば諦めながらも叫ぶ、凄絶な愛の歌なのです。

このような曲の微妙な感情を声を使って細かく表現する為に、パンソリを志す人達は文字通り人生をかけた厳しい修行を積んでいきます。

その修行法も凄まじく、「得音」と呼ばれるパンソリ特有の声の完成形ー繊細な感情や幅広い音域などを自由自在に駆使出来る状態ーを目指す為、咽を潰したり呼吸を鍛えたり、鳥の咽の骨をザル一杯に食べたりなどという修行もするそうです。

ただ、こうしたやり方は「得音」に達する事が出来る可能性がある反面、完全に声をダメにしてしまう可能性もあり、だからこそ文字通りの「人生をかけた特訓」なのですね。

ちなみに、「釜山港へ帰れ」などで日本でも有名なチョー・ヨンピルも、1970年代中盤に大麻使用の疑いがかけられ芸能界から干されていた時期に、パンソリの修行を積んでいたそうです。

それは彼の歌声にも如実に表れており、1980年に発表された「窓の外の女」という曲のサビの部分は明らかにパンソリを彷彿とさせる強烈なシャウトで熱烈に歌い上げています。

 

 

窓の外の女

 

 

ちなみにパンソリは時に痛烈な社会風刺の性格を帯びる事もあります。

その代表が創作パンソリの大家とも呼ばれるイム・ジンテク名唱の「五賊」でしょう。

「五賊」

 

「五賊」は元々は韓国の社会派・反体制詩人で世界的にも著名な金芝河(キム・ジハ)の詩で、1970年代韓国の軍事独裁政権を強烈に風刺し非難する内容で、この作品の発表を理由に金芝河は逮捕され、作品を掲載した月刊「思想界」は廃刊を余儀なくされます。

「五賊」では、財閥、国会議員、官僚、軍高官、大臣を5人の獣物の姿をした盗賊として描き、悪辣で貪欲な巨悪として描きながら痛烈に風刺します。

例えば、冒頭部には「人は皆腹ん中に五臓六腑が詰まっているが、此奴らの腹ん中には雄牛の金玉袋ほどの泥棒袋がおまけに詰まって五臓七腑だ」「同じ頃(当作品が風刺する軍事政権が成立した頃を指す)に盗みを学んだが、その腕前は皆ピカイチ」とあり、当時の韓国の権力者達にいきなりカウンターパンチを喰らわせています。

また、財閥は「金の腕時計、金の指輪、金のブレスレット、金のボタン、金のネクタイピン、金歯、金の爪。

でっぷり尻にだらしない腹、のそのそと現るぞ。

閣僚はこんがりと焼き上げ大臣は真っ赤に茹で上げ

酢をかけ醤油を注しコチュジャンに味の素

唐辛子とニンニクも添えてペロリと平らげ

庶民から吸い上げた銀行の金、外国からの借金にあらゆる特権に利権もごっそりと

妾を侍らせ夜昼構わず子作りに余念なし」

と、それはもう容赦なく痛烈に風刺します。

この調子で最後の最後まで時の権力者を痛烈に風刺するのですが、これをパンソリとして纏めたのがイム・ジンテク名唱です。

40分余り延々と痛烈に声を張り、実に巧くそして激烈に歌い上げます。

自由自在に出る声に加え、相当な体力が必要である事がよく分かるでしょう。

 

 

最後に、パンソリの名唱達の音源を紹介して終わりたいと思います。

 

 

 

ソン・マンガプ(1865~1939) 「沈清母行喪歌」

レコーディングされたのが何と1913年!!

冒頭の「송망갑이올시다(ソン・マンガビオルシダ、ソン・マンガプでございます)」という挨拶が時代を感じさせます。이올시다(イオルシダ)は「〜でございます」という意味の古い敬語体で、今ではほとんど使われない表現です。

 

イ・ドンベク(1866〜1949) 「セタリョン」

セは鳥、タリョンは「打令」と書きますが、日本語で言うと「嘆き節」とでも表現しましょう。

これまた古く1935年の録音です。

 

キム・ソヒ(1917〜1995) 「雲淡風景」

1960年代の録音です。

今度は女性の名唱です。この方もパンソリの伝説と言われています。

 

 

 

アン・ヒャンニョン(1944〜1981) 「六字ベギ」

六拍子の歌、という意味のこの曲は、女性の「恨」を歌った曲です。

「恨」とは「ハン」と読み、いわゆる単なる恨みではなく人生の様々な願望が成就しない苦しみ、それでも諦めきれないもどかしさなどを含めた感情のしこりのようなものを「恨」と表現するわけです。

こう言った曲を見事に歌い上げるアン・ヒャンニョン名唱は、先に紹介した師匠でもあるキム・ソヒが「私の弟子でただ1人いち早く私を超えた」と絶賛するほどの才能の持ち主でした。

しかし、妻子ある男性と恋に落ち、叶わぬ恋に絶望し1981年に自ら命を絶ってしまいました。

こうした生き様もまたパンソリの中の主人公のようです。

 

 

まとめ

長い苦難の歴史の中で、朝鮮民衆の悲しみ、怒り、嘆き、希望等様々な感情を代弁するかのようにして発展してきた伝統芸能・パンソリ。

これほどまでにダイナミックながらも繊細に、人の感情を表現し得る芸能は非常に稀有であり、だからこそユネスコ無形文化遺産にも登録されたのではないでしょうか。